2010年04月13日

第4回伝統構法を考える勉強会報告(1)・・・伝統木造建築における階層性「階層型建築構法の考え方」

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第4回伝統構法を考える勉強会報告 2009.07.18
伝統木造建築における階層性 「階層型建築構法の考え方」  
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久しぶりに東京でしゃべります。
今日の話は、私が大工さんの仕事を見ながら考えたことです。
古い建物から新しい建物、いろいろ古代の様式等もありますが、その当時からすでに耐震的な配慮はしていたんだろうと考えています。
ただ、実際問題として、なかなか耐震というのは簡単にはできないですね。
20090718kougi_02.jpg大工さんたちがどう考えてきかという一つの事例として、現在保存等で関わりを持っている岡崎邸を見ていただきたいと思います。岡崎邸は、天保6年に着工しています。竣工はよく分からない、というよりどの段階をもって竣工とするのかが分かっていません。
禄高300石は中級といえます。今でいえば課長級の武士の屋敷です。特殊な試として、ここには2階に座敷があります。2階建ての武家屋敷は多少ありますが、座敷があるのはそんなにはないと思います。


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天保6年、今で言えば確認申請に当たるものに、総土台構えと書かれています。総土台構えという言葉が出て来るのが面白いと思います。屋根は取葺き(とりぶき)と書いています。取葺きというのは良く知らなかったのですが、板葺きの石押さえのことを言ったらしい。
しかし、実際は瓦葺きです。許可された仕様のようになっていないのです。天保6年1月27日に着工の許可になっていますが、天保7年4月4日にもう一回、屋根葺きを取葺きから瓦葺に変更するという建築確認申請の仕様変更届けが許可されています。
したがって、天保7年4月4日から瓦を載せてやがて竣工したと思いますが、その日だけはどこにも書かれていないのでこれは判らない。許可された規模は、南北8.5間×東西6.5間で55.25坪。実際には、この上に2階が載っています。その面積を加えて、延べ面積を出すと333.14u(約100坪)という比較的大きな規模の建物です。

天保6年1月27日(旧暦)の間取り。この大きな範囲が基本的に建築確認申請で許可された領域です。現状は少し切り取られ、一部増築されています。この建物を発見したのが今から8年ほど前になります。当時はこちら側にひとりの女性が住んでいました。残余は、かつては三所帯ぐらいが住んでいたアパートとなっていたようで、ボードで囲われていたので、ある意味ではきれいだったようです。昔は南側に長屋門がありましたが、その土地を売ってしまった。それと同時に南側の廊下を切り捨ててしまった。ここには蔵があって、これも売ってしまい、これと同時に北側の廊下も切り取ってしまったようです。これで、南北の廊下が切り取られてしまい、大変残念なことです。

2階のこの部分に座敷があります。この階段は後で造ったもので当時はありません。当時の階段はここにあった。言ってみれば階段室から座敷の部屋に入った。この座敷があるということが分かりにくくもしていたのですが、逆に言えば少しヒントとなって、これはなぜか、ということを分からしてくれた。この縁側は濡れ縁仕様になっています。この下というのは、主人の間と呼ばれる部屋です。この部屋の上に縁側を設け、しかもそれを濡れ縁とすれば下は雨漏りで困るはずです。このようなことは常識的な大工さんなら絶対にやらないのではと思います。この外に雨戸だけはあります。一筋が付いています。たぶん、この部屋には濡れ縁があって、手摺がありますが、どうもこの手摺が重要だったようです。

この部屋に座ってその向こうを見ていくと正面にお城の山が見える。城山を見るために、手前に幾つか建物があるので、そういうものが見えないようにしようというしつらえだと少し分かってきました。これが分かったのは、江戸時代に建った泰姫御殿というのがありますが、岡崎邸が建った直後に建てられています。泰姫御殿にも2階に座敷があり、同じように妻面を向いて、江戸城を見ることができます。この仕組みをここではテストしたのかなということが分かってきました。
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20090718kougi_06.jpgこの建物がなぜ面白かったのかというと、矩計を見ますと、総土台構えであって、土台と足固めの間にも土壁が入っている部分がある。全部ではありませんが。
それは、この床の間の裏の壁を耐力壁にしている。座敷側は落し掛けから小屋下の桁まで壁となっているので、これを合わせてみるとこの耐力壁は上下で床の間の奥行分だけずらしながらも全体として上階から下階までの耐力壁とする工夫をしています。

これは土台伏図です。このように構造耐力壁が配置されている。ここと上部構造との関係がひとつの重要なポイントです。

昭和18年に大きな地震が鳥取にありました。
この建物はその地震で壁に少しひびが入りましたが、ひびが入っただけですんでいたことが一つの特徴です。なぜ、厳しくひびが入らなかったのかが、ずっと気になっていまして、少し調査をしました。
版築で厚さ3尺ほど、いわゆる地盤改良していることが判りました。総土台構え。土台はクリの7寸角を使っています。

足固めはクリの5寸角。柱断面が5寸2分角。桁行方向に先ほど言った大きな壁面、土台から桁まで、完全に連続ではないけれど、ほぼ連続した壁を造っている。梁間方向の床の間壁、妻壁が大きな壁といえます。非常に壁の量が多い。1階の欄間より上はほとんど全部壁です。いちばん効いているのがどうも胴差で、建物のお腹のはらみを押さえているのがポイントかなと思います。

ひび割れが入っていますけれど、残留変形としてはほとんど認められず、かなり頑丈な建物と考えられます。この建物は、武家屋敷としては他と比べると非常に高級な仕様になっています。


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20090718kougi_11.jpg 次に見ていただく福田丹波邸というものが近くに残っている武家屋敷です。こちらは3500石の上級武士です。鳥取ではたった1軒だけ残っている上級武士の館です。他に家老が10人いたのですが、ことごとく無くなっています。この建物は、1818年に建ったということが棟札から確認されています。

福田丹波邸と比較すると、岡崎邸は仕様が高級すぎる。総土台構えで、土台寸法なども大きい。岡崎邸は7寸角ですが、福田丹波邸は6寸角です。柱は、福田丹波邸が4寸角でむしろ標準と思われますが、それに対して5寸2分角。主屋の柱は杉の面皮で、色付けの化粧を施している不思議さがあります。床板はクリの中杢の磨き仕上げで、一部の室の天井はきれいな仕上げにしている。

福田丹波邸はこうやって見ると非常にきれいですが、岡崎邸はもっときれいだったかもしれないと思います。現状はかなり悲惨な状態ですが。
福田丹波邸はこうやって今も建っていますが、地震時に大変大きく傾いだものを引き戻して使っています。

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鳥取地震の被害をいろいろ調べてみると、非常に大きな被害でした。市の中心部は全壊が75%ですから、全ての建物が損傷を受けているはずなんですね。岡崎邸も福田丹波邸も大きな被害を受けたゾーンに入っている。そのゾーンを外れたとしても、5割から7割5分の全壊率なので無被害は考えられない。大変大きな被害率を示している。これがM7.2と言われていますが、被害率としたら阪神淡路よりも激しい。こんな激しい地震があったということを8年前に鳥取に行くまで知りませんでした。
戦争中でまともな調査がされていない、報道管制が布かれていて誰にも知らされなかったということのようです。

地震被害の分布を見ると、鳥取市に集中しています。震源地は海に近いところですが、鳥取市の方が大きな被害が出ています。これは基本的には地盤によるものと考えられます。鳥取の旧城下町は非常に軟弱な沼地を戦国の末期から江戸初期にかけて埋め立てたものです。それでも百数十年から二百年近く経っているわけですが、十分には固まっていなかったということです。建物の固有周期が場合によっては、地盤の卓越周期と一致してしまったのではないかとも考えられます。

鳥取市の柱状図で見ますと、まともなN値を示すのはこの28mあたりまではほとんど柔らかく、一部場所によっては固い層も見受けられますが、概ね30m近くまでは何もないというのが鳥取の被害地の地盤状況ということです。

被害が岡崎邸だけが軽くすんだことに興味がそそられたわけです。いろいろその根拠はあるだろうと思いますが、どれだとはなかなか言い切れません。
版築、地盤改良がなされていたということは、軟弱な地盤に対して90cmの、言ってみればベタ基礎があったということです。柱寸法が3割ほど通常より太い。3割太いとせん断耐力では相当増えることになります。それなりの地震耐力があったといえます。

総土台構えがたいへん効いていると思います。柱の脚部が土台と足固めの2箇所で固定されていて、これが非常に効いていると思います。鳥取西部地震というのが9年ほど前にありました。そのときに壊れなかった建物は、柱脚が土台と足固めで二重になっているという観測事例があります。

棟筋の鴨居から桁まで大きな壁というのも大きな要素と思います。床の間の裏側で補強して 全体としては土台から桁までの大きな壁になっています。この建物はほとんど全てが通し柱になっている。そこに胴差を設けて、二階の部屋を受けている。建物のプロポーションとして、胴差を入れるとちょうどいい高さの建物だということだと思います。

壁は下部も頂部もきちんと構造部材で押さえているのも効果的です。これは意外と大変なことです、壁がしばしば頂部になにも無いというものもたくさんあります。それとこれとでは効き目が、桁違いです。それから、床の間を利用して梁間方向の壁が造られている。全体としては立体的な壁配置のバランスを考慮している。全体を眺めてみると今言ったことがよく分かります。土台は基礎石の上に置いただけで、とくに緊結しているわけではありません。基礎と緊結しなくても地震に耐える方法もあるということで少し勇気付けられたわけです。
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posted by これ木連 at 13:38 | Comment(0) | 第4回勉強会(渡辺一正氏)報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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